梅干が食べたくなったら<梅干博覧会>

新美 南吉
1913/7/30〜1943/3/22

 昭和初期の児童文学者。本名、渡辺正八。
 愛知県半田町(現在の半田市)に畳屋の次男として生まれた。本名の正八は、生後まもなく亡くなった長男の名前を受け継いだものだった。4才の時、母親が死亡。6才の時に新しい母親が嫁いできたが、8才の時に実母の生家、新美家の養子となった。
 半田中学在学中から文学に目覚め、級友たちと作品朗読会を開き、校友会誌や投書雑誌に投稿していた。中学卒業後、一時、母校の尋常小学校で代用教員を勤めながら童謡・童話の投稿を続けた。この頃、初期の代表作となる『正坊とクロ』(1931)、『張紅倫』(1931)、『ごん狐』(1932)などの童話が鈴木三重吉に認められ、雑誌「赤い鳥」に掲載された。その縁で北原白秋門下の与田準一や巽聖歌らが中心になっていた童謡同人誌「チチノキ」に参加することになり、多くの童謡を発表した。
 18歳の時、巽を頼って上京し、東京外国語学校英語部に入学した。この時期、翻訳、戯曲、小説、詩などにも手を染めた。しかし、在学中の1934年に喀血。1936年に卒業し、就職したが、喀血して倒れ、帰郷して静養した。
 1938年から安城高等女学校の教諭となり、教師生活のかたわら、『久助君の話』(1939)、『屁』(1940)などの少年心理を掘りさげた作品や、後期メルヘンの『花のき村と盗人たち』(1943年)『牛をつないだ椿の木』(1943年)などを執筆した。1941年には最初の単行本『良寛物語・手毬と鉢の子』、1942年には第1童話集『おぢいさんのランプ』を刊行して新人作家として嘱望されたが、1943年3月、喉頭結核のため死去。わずか29年の生涯だった。
 新美南吉の作品は、1960年代にあらためて評価が高まり、いまなお多くの愛読者を惹きつけ続けている。
→ 新美南吉記念館
  〒475‐0966 愛知県半田市岩滑西町1‐10‐1
  TEL 0569-26-4888 FAX 0569-26-4889
  http://www.nankichi.gr.jp/
手ぶくろを買いに
日本の童話名作選
手ぶくろを買いに
新美南吉/黒井健
偕成社1988年3月発行

手ぶくろを買いに

 寒い冬が北方から、キツネの親子のすんでいる森へもやって来ました。
 ある朝、ほらあなから子供のキツネが出ようとしましたが、「あっ」とさけんで目をおさえながら母さんキツネのところへころげて来ました…
冷たい雪で牡丹色になった子キツネの手を見て、母キツネは手袋を買ってやろうと思います。幻想的な描写が随所に溢れる南吉童話の中でも最も美しい作品のひとつ。
光村ライブラリー(第9巻)手ぶくろを買いに 「手ぶくろを買いに」
(新美南吉)
「つばきの木から」
(佐藤さとる)
など4編収録

光村ライブラリー(第9巻)
手ぶくろを買いに

光村図書出版
2002年3月発行
手ぶくろを買いに
新美南吉/牧野鈴子
フレーベル館
2003年9月発行

いつか出会った名作絵本
手ぶくろを買いに

ごんぎつね

…ある秋のことでした。二、三日雨がふりつづいたその間、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。
 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、モズの声がきんきん、ひびいていました…
ごんぎつね
ごんぎつね
新美南吉/黒井健
偕成社1986年9月発行
貧しい兵十が病気の母親のためにとったウナギを、いたずら心からついとってしまったキツネのごん。 兵十とごんとのふれあいを描いた名作。
ごんぎつね ごんぎつね
新美南吉
岩波書店
2002年04月発行
ごんぎつね
コミック
安武わたる/新美南吉
宙出版
2004年5月発行
ごんぎつね
ごんぎつね〔英語文庫〕 新美南吉/ラルフ・F.マカーシー 講談社インターナショナル 1997年4月発行
◎本をお探しの時は、検索語を入力して[書籍検索]ボタン↓を押して下さい

前へ戻ります ホームページ | プロフィール | 掲示板 | New弁士 [有島武郎]へ進みます
[PR]動画